今回は、松陰神社について書きたいと思います。
■松陰神社ができるまで・・・。
松陰神社は、吉田松陰が安政の大獄で処刑された後に門下生によって立てられました。当初、吉田松陰の墓は小塚原の回向院というお寺ににありましたが、文久3年1863年、安政の大獄の4年後に高杉晋作らの門下生により現在の場所に移されました。そして、明治15年11月21日に墓の横に松陰を祭る神社が創建されました。さらに昭和に入ってから造営され現在に至っているそうです。
■なぜ吉田松陰の墓は移動されたのか?
なぜ世田谷に移ったのかというと、そこはかつて長州藩主の別邸があったからだそうです。しかしなぜ、小塚原ではいけなかったのかと思い小塚原について調べてみました。
■小塚原刑場
小塚原のことを調べてすぐに納得できました。
小塚原という場所は現在の荒川区南千住2丁目あたりのことで、そこには
処刑場があったそうです。安政の大獄にて処刑され吉田松陰の遺体は近くにあった回向院というお寺に埋葬されたそうです。松陰の門下生たちが改葬しようと思うのも納得できます。また、吉田松陰が門下生たちから尊敬されていたということもよくわかりました。
■回向院とはどういうお寺?1667年本所回向院の住職である弟誉義観(ていよ・ぎかん)が小塚原の刑場の有様を見て隣接する場所に常行堂を建設しました。当時の小塚原刑場は死体を丁寧に埋葬しなかったので野犬やイタチの類が食い散らかして地獄絵図のようになっていたそうです。それを見かねて造ったお寺が南千住回向院になったというっわけです。その後杉田玄白が刑死者の解剖に立ち会った場所でもあります。
■松陰神社の行き方
松陰神社への行き方は、いろいろあるようですが私は世田谷線で松陰神社前という駅まで行きそこから5分くらい歩きました。
また吉田松陰のことや松下村塾のこと、松陰神社の説明が書いてある看板を読み中に入ると左手に吉田松陰の銅像がありました。一番奥に本社がありその脇におみくじなど売っていると所がありました。そのあたりまでは普通の神社という感じなのですが、もっとも特徴的なのは松下村塾を復元した建物があるところだと思います。小さな木造の建物でとても質素な感じでした。また、吉田松陰の銅像の裏手当たりに吉田松陰のお墓がありました。激動の時代に日本を命がけで守ってくれた吉田松陰に感謝の心を込めてお参りしてきました。
![Powered by 269g[ブログ・ジー]](http://269g.jp/img/269g.gif)